2017-10-26

伊豆探訪/原風景




先月、一年ぶりに伊豆を訪れた。
離れていた時間は、知った顔に再会し自然とつながる。


目的の渡辺君の個展は、穏やかな気づきと励ましを感じられる内容で
見ていると、ここ最近ずっと心にあった自分の展望を 良し と言ってもらえるような感じを思う。

彼の家を訪ねるのに伊豆半島を南下する車内で、つくることについていろいろと話す。






渡辺君の家族はみんな、身のまわりの草木や生き物についてよく知っていて
その様子を眺めていた時、ふと自分の幼少期の記憶が思い出された。


当時は東京都内でも土のままの地面も残っていて、草木の茂みもあり
さらに、わたしが幼少期を過ごした木造平屋の住まいは古く、広い土間もあって
自分が家の内にいるのか、外にいるのか、その境は曖昧だった。

母は冬になると「うちは寒いから、外で遊んできなさい」と
今聞くとあべこべに聞こえる台詞をよく言っていたけれど
これは今、家族間の昔話になるとよく挙がる笑い話になっている。

わたしの日々の遊びは、もっぱらままごとの泥 あそびで
だいたい何かを料理するまねごとをしていた。

材料になる草花や実や種、石ころや土はいろいろなたべものに見立てられて
わたしは干してある布団でつい手を拭いてしまうのをよく叱られていた。




小さいころの自分がどういうものに惹かれたりおもしろがっていたりしていたのか。
自分のいる場所を知る感覚は、そういえばこういう空気感の中でだったなぁ、と
大人になったわたしの中に、当時のこころの動きがザァーっと降ってくるように感じた。






創造する者は、よくその動機となる「原風景」について尋ねられることがある。

わたしには、確たるものがない。

けれど
”原風景”は光景そのものではなく
その時のこころを思い出すところ、ということだったのだなぁ、と
伊豆に出かけた後で、ぼんやり気付いたりしている。

大人になって出会った、渡辺君の家族と過ごすことは
わたしにそんななつかしい原風景を思わせてくれる。





数学者の岡潔は

こころのふるさとがなつかしい
という情操の中でなければ、
決して生き生きとした理想を描くことはできない

と、自身の著書で書き記していた。(「日本のこころ」)



はじめて個展をやらせてもらったギャラリーの店主は以前
「自分は今までずっと、なにかをなつかしい、と思う感覚がわからなかったのだけど
この仕事をしたことで初めてその感覚が分かるようになりました」
と言っていた。





次回、展示をさせてもらう大阪のギャラリ― 無由 の守屋さんが
こんどのDMの記述のなかに印象的な引用を入れてくれた。


森田春菜 個展「棒」

造形作家 森田春菜の個展を、新しい場所 無由にて開催します。

作家の「棒」のみの展覧会です。

「棒」は作家の陶土の造形物です。
それは彼女のメッセージでもなく、自己表現でもない。
それががどういうものなのかは、手にする人それぞれに委ねられているのです。
私が最初の一本を手にした時に言葉に出来なかった感覚は、「懐かしさ」だったと後に知ることとなりました。

思考する頭をしばらく横に置いて、手触りを通じて交わされるなにかを感じてみてください。
ご自身の「棒」を見つけに、ぜひお越しください。

ippo plus
守屋里依



『懐かしさとは、過去への憧憬(しょうけい)のことではなく、
周囲と通い合う心の実感のことである。
懐かしいということは、それだけで嬉しい。』岡潔



森田春菜 個展「棒」
開催場所:無由 大阪府吹田市五月が丘東2 ローズコーポC棟401
開廊期間:2017.11.25(土)ー12.3(日)
休廊日:11.30(木)、12.1(金)
時間:12:00-18:00
作家在廊日:初日 11.25(土)





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