2016-10-30

nothing


「どうしてこういうものを作っているのか?」
という問いに、ことばを詰まらせてしまったことが
あれからしばらくたっている今でも気になっていて
ふと、今なら答えられるか、と自分を尋るように思い出す時がある。

先日、展示の打ち合わせで栃木に出かけた時のことを思い出しながら
それ以降のきもちの変化、考えていることを繋げ
大まかに、今の答えが現れてきたように思った。




ただ日々、仕事に出かけ、人と会い、食べて、寝て、の暮らしをするだけでも
一人の人間としては十分幸せに生きていけることなのだけど
わざわざこういうことをするのは

わたしにとって このモノたちと関わることは
それをやらないよりもずっと 自分や 世界が
見えてくることがあるのです。





モノの発するトリガーは
一見繋がりのないような部分への理解や発見へ到達する時もあって
作り手のみが感じ取っていると思っていたのだけれど
受け手側でも共通に感じ取っていた人がいたことは
うれしい驚きだった。


このままのことでやろう、と
今、あらためて思わせてくれた出来事。



2016-10-16

存在

緑釉 陶片



存在の立ち位置をさぐり
この心許なさや半端さでしかない事は自分でわかりつつも
それでも居場所の無さや別物と比較しては、迷い、悲嘆にくれた。

 
今だにその感情は拭えないけれど
 このままでやはり良かったんだな、と
深くひとつ思える事柄があれば。



有難い出逢いは、まだちゃんと認識し、反応できないくらい
衝撃でぼんやりしていて
これはたぶん、手を動かしながら、ことばをおもいだして
ゆっくり自分の心に落としていくんだと思う。







まるで、自分の事のようにこの体験談に共感し
喜んでくれたYさんにも
あらためて感謝。




*



If I can stop one heart from breaking,
I shall not live in vain;
If I can ease one life the aching,
Or cool one pain,
Or help one fainting robin,
Unto his nest again,
I shall not live in vain.


- Emily Dickinson  -