2015-01-02

年末から、新年へ。


新年のお飾り。
無駄の無い仕立ての、清らかな雰囲気。
良いものを手に入れることができて、うれしい。

これは年末に赴いた高知の日曜市で
買い求めたもの。
聞けば、この横に結ばれたしめ縄は、関西風の仕様らしい。


昨年度々訪れたけれど、年末の賑わいはひときわ。
賑やかな買い物のやり取りを耳にし、自然とこちらも顔がほころぶ。





思わず手が伸びる品々。
段ボール一箱いっぱい買い込み、東京へ送るのはもうすっかり定例になった。
日常に戻ってからしばらく、楽しみと励みになる、素晴らしいおみやげ。



前回、秋に出かけた折に、初めて試みた”野焼き”。
その大らかな魅力に引き込まれてしまい
またやろう、と約束していたのだった。

今回は広々とした、四万十近くの浜辺で行うことに。
さらに、やきいも、のおまけ付き。



今回の燃料は、浜辺の流木。
カラカラに乾ききった木材の燃焼は、こちらの想像を超えて
あっという間に燃え尽きようとする。

途中、慌てて木々を集め直し、次々火にくべる。
華やかな炎に追い立てられ、かなり”ハイコスト”な野焼きになった。
前回の方がもっと勢いを、コントロールできていた
”省エネ”野焼き、だったように思う。
処変われば、というところか。



それでもなんとか焼き上がり。
初めの火の勢いが強かったせいか、割れが入ったものもいくつか。

この”掘り出す”ときの様子が
”窯出し”というより、田畑の感覚に近いのはどうしてだろう。
「採れた、採れた」というような、収穫感がある。







夏に撮っていた、作業風景写真が好評だったようで
再び、廣谷さんを撮ることに。

入り込む冬の日差しは、まるで映画のワンシーンのようで
流れのままにシャッターを切る。
私にはカメラの腕は無いので、ただ撮る、ということしかできない。
すてきだ、と思うところに同居していることでしかない。
空気を留めておこう、という動作。

毎回、高知の様子をカメラに収めたくなるのは
ここでの感覚を、自分に焼き付けておきたいから。
後から、旅のいろいろを反芻していく糧になる。





夜深まるまで、たっぷり話をした。
それぞれに、自身が辿ってきた場で、どういうありようだったか、ということ。
そのシチュエーションが、たとえ”つくること”に全く関係なくても
すべてが納得できる繋がりを感じてしまう。
そのくらいに、ふたりのものは、その人そのものが居るのかと思わせるような
佇まいがある。

作り手皆、そうあるわけではない、と思う。
そうできる人は、ごく一部なのではないだろうか。






東京に帰って間もなく、2015年に時が切り替わり
今年は新年の挨拶を、リアルタイムでしたためる事になった。

届いた賀状に目を通していた中で、嬉しい声かけを頂いた。

「いい風をはこんでくれる」 と。

今年の懐にしまおうと思う。