2014-12-26

日々の糧




人間の創造力のたくましさは
つくづく、おもしろいものだな、と思う。

さかのぼる想像をたのしみながら
最近は、ぱんを焼いて遊んでいる。


発酵した小麦の生地で
今ある、こういう食べ物が出来ること。

つくり出す自分の手で、それを確信した人は
どんな気分だっただろう。
 


上手に作る気は無く
素材の現象を窺いながら
ほとんどカンでやる。

”最初の人”の気分を味わう。

 身の詰まった、どっしりとしたぱんが焼き上がる。




X'masだったので、少し豪華に。

忙しくて土に向かう集中がままならないとき
台所仕事は、 気分を収めてくれる。

人間、を思いながら手を動かす。

 それを楽しむ手段は、いろいろある。




2014-12-24

歓談の中で

作用展、初日を終え 作家群が集う。
賑やかな宴席の後は
夜も深まり各々の事が話される場に。


「自らが創り出すもので 生活していけるかどうか」。

私にとって、しばらく引きずっていたコンプレックスのひとつだったけれど
自分は何に魅力を感じるのか
ふるいにかけつつ、いろいろな物事に感化され、今まで歩いてきたら
いつの時からか、自らが貼ったそのレッテルは剥がれていた。
私はそういう方向に来つつあるらしい。


自分が感動するのは
どの境遇でも、やりたい、と思い
自らの自然発生的な必然に伴い
創り出す表れ。

そういうものに出会うと
敵わないな、と思うと共に圧倒的な感動と
湧き上がる励ましのような感情に出会う。
愛しいと思う。


おそらく、私が職業作家を選んでいたら
自分自身、そして自分の日常生活を支えるための
惰性的なものづくりに手を染めるような気がする。
たぶん地が卑しいのかもしれない。。
正しく律せれる自信は危うい。


したいようにできない苛立ち
時間はあるのに、手が進まない焦り

それに立ち向かうか、解放するか

私自身の有り様がどうかというよりも
出てくるものがどうなのだ、という方が
問うべき気がする。



ただでさえ、揺さぶられる中で
この事さえ
私には大いなる課題。

2014-12-17

作用展に向けて




「作用」展出品の準備にかかる。
私にとっては、10月の名古屋展示の凱旋的な趣旨。

どうしてしばし経ってから見る方が
発見が多くあるのか。
自分は退化しているのだろうか、と危惧してしまう。




DMに記載された言葉が印象的だった。

"素材の性質の凝固物"

よくこういう言葉を生み出せるなぁ、と思う。



私にとってはまさに「作用」なる役目しかない、と言えるし
そうあれれば、という理想でもある。


来年中旬まで、約一ヶ月にも長く開催される企画。
どこかにあるのだな、という励みの期間。




第2回 作用展

OUTBOUND (吉祥寺)

2014年12月20日(土)- 2015年1月19日(月)
11:00 – 19:00|12月23日、1月13日 休
12月30日 – 1月6日(年末年始休業)

参加作家
井藤昌志 柏木圭 金森正起 鎌田奈穂 木下宝
熊谷幸治 須田二郎 冨沢恭子 増満兼太郎
森田春菜 廣谷ゆかり 山崎大造 横内みえ 渡辺遼


2014-12-15

引きこもること・解放すること



今まで紛れ、混ざっていた考えが整理されると
嬉しくて、ついそこに飛びついてしまいそうになる。

固執してしまいそうになり
気づくと、いけない、と思う。

あまりにも生のままのそれは
魅力的であると同時に、扱いには手を焼く。


自然と血肉化し、解放されるようになるまでには
しばらくなりゆきのなかでの時間がかかる。

2014-12-12

たけのこかご

ユーモラスな響きの、この籠。

高知からやってきた大造さんが
このモノに出会った感動を話してくれた。
聞いているこちらも、そのとき相対した幸福を
共に体感する様な語り口。

たけのこ籠も(作った人も)凄いんだろうけれど
そこまで一心に豊かな境地に入り込める彼も
あらためて、すごいひとだな、と思う。


このたび、大造さんは今年の民芸館大賞を受賞した、とのことで
急遽、受賞の為の東京訪問。
吉報は、本人ではなく同じく高知にいる
廣谷さんからの速報だった。
すごい、すごい、と本人の知らないところで
喜び合っていた。


以前から、高知に行った際に
この『たけのこ籠』の存在について聞いていた。
「これが見てみたいんだ」と、小さなモノクロ写真のカットを指し
憧れを込めた口調で言っていた。


民芸館所蔵のそれは、江戸時代作ものらしく
特に名を馳せた作家もの、ということではないらしい。

ただ、期待を込めたそのものとの対面は
熱い感動的なひとときだったよう。
”30分”と限られた時間内で、見ることのみに集中し
曰く『旅をしたような』感動の余韻に包まれていた。

まるで
その作家のお宅を訪れ
互いに自然になじむ距離感で
特に言葉を交わすことなく
それでも伝わる空気感の中
お茶をいただいた、

ような感じだったんだとか。

そのものに出会ってみたあとは逆に
今までの、”たけのこ籠をつくる”という欲求とこだわりは放たれ
なんのかたちでもいいんだなぁ
となったらしい。




たけのこ籠は、つくりたい『モデル』ではなく
『実例』を示すもの、だったのか。

心強い励ましのような感覚を得た
その様子は、こちらまで共感が伝わる。

最近考えていたことと繋がる。
  そういうことなのかもしれない。

2014-12-09

作用展 出品のお知らせ など



2014.12.20 - 

作用展


OUTBOUND (吉祥寺)




急遽、お声掛け頂いたグループ展に参加させて頂くことになりました。
吉祥寺OUTBOUND で開催されます ”作用展”。

12月20日(土)から、おそらく翌年’15、1月中旬くらい、、、?
まもなくの会期ですが、未だ未定な部分もあるようです。
いろいろなものを採り込みながら進行中であろう、、、と察しております。
俊敏な行動力と、それでいて緩いところも持ち合わせる
店主らしいなぁ、と思いつつ
不意に入った機会を、励みに寄り添いたいと思います。



 10月に名古屋での個展を終え
次回は来年5月か、と
間が開く感覚でいたものの
のらりくらりしていたら、あっという間に
”やらねばならないこと” に押されてしまうであろう。
今は、本を読んだり、高知の野焼き用土器をつくったり、と
いつもと違うことを手段に、進行中。

やっていることは異なっていても
考えることは、いつも作っているあの品々を巡っての事と 同じ。




「これはモデルではなく実例なのだ」。

ピカソが、自身のアフリカ彫刻の膨大なコレクションについて語った
言葉だそうです。(”レヴィ・ストロース講義”より)


 入り交じってしまう”憧れ”への目線を、なめらかに切り離した言い様。

”実例” の意味するところ。
それは、追求していく側に立った同列に並ぶものとして
または励ましのようなものとして
そのものがあることを言いたいのだろう、と思う。
”モデル”という、そのモノ対象を追うのではなく
 自分の手を伝う、内側にあるもの。
動きの由来を探ること。

そうしていた人に、なにかを尋ねるようなひととき。

それはたとえ土を手にしなくとも
台所で野菜を切る時も
米を研ぐ時にも共通に
立ち現れる感覚。





今度の”作用展”。
『作用』の意味する、ある起点から発動する表れ。

わたしの想い続ける『機』ki と共通の部分がある。
”機”も、心の発動、動き、の意味をさす。
機、はより、作り手側の内に潜むものであるような

比べるとそんな気がする。