2014-11-24

書と花を見に行く。



土壁の展示空間は、薄暗く籠っていた。
 その中で、字が浮かび、花が在る。

字は、その輪郭が空気に拡散していきそうかと思えば
あるものは、はっきりと力強く擦りつける。
現れの由来、時間を遡る気分になる。

 そして花は、その後ろに、広い広い風景を抱く。
それとともに、空想のそこにはなぜか人間の気配を感じる。



中に居るわたしは、農夫のような気分になった。
ここは、とある小屋で、住処のようだ。




10年近く前の、偶然の出会い。
それはわたしには選べなかった、身を委ねて訪れた幸い。

そして、思うままに赴いた大阪
そこで見せてもらった一冊の本。

考えていた事を、ずっと奥深くまで知っている人

身体表現者、の人だ、と思った。
精神から降りてくる動きを持つ
ダンサーの様だった。



テーブルを囲んで談笑しているこの風景を
こういう時が来る事を、予想出来ただろうか。


そのころの目に映った景色が思い出される。
日本家屋の畳の手触り。
ひんやりと伝わる滑らかな板張りの廊下。
リズムのある関西ことばのやりとり。

佇むわたしに、天からことばを掛けてやりたい。
そんな事を思う。


わたしにとっての大阪は
刻み込まれる事柄を、多く記憶する場所。




今の自分の在り様を話す。
口中の水分が無くなっていくのが分かる。
話す程に、削ぎ落とすほうへ心が動き
慣れるどころか、逆に緊張が締まっていく。
でも、嘘のない言葉を伝えられたと思う。


モノの手触りの話
削り出していく感覚
似ている、と言えるかわからないけれど
共通言語の兆しに期待が膨らむ。

2014-11-21

今 現在 のこと。 そして人についてを言い続けている、ということ。



手を動かしている時に、考えていた事は
じつは 人間について だったんじゃないか
と、最近思っている。

モノの在り様を探る作業を通して
いままでずっと、思考は、そういうことを探っていたのではないだろうか、と。


実際、”モノ”に惹かれているのは確かだけれど
その奥底には常に”ニンゲン”への興味が潜む。
それはこの仕事をし始めた感覚を得たときから、ずっとあった事だったのに
 モノへ迫っていく感覚の傍を、いつも並走するもの
 くらいな自覚しかしていなかった。





興味を含んでいるものを見つける視点は
懐古的な思いや、情緒性を むしろ引き込みたくない。
傍に来てしまいそうになる気配を
避けつつ、避けつつ、蒐集する。



言いたいのは、今は無くなってしまったもの、ではなく
今、現在のこと。

わたしにとって重要なのは、そこだった。