この3月は、展示がいろいろと重なることとなりました。
それぞれ、趣旨が全く異なるものなので、
すこし、解説、思うところをご紹介です。
個展
「 場 」
2012.3.19 (tue) - 3.31 (sun)
ろば屋 (新潟)
オーナーの鹿子沢氏とのやり取りの中、
今回で3回目となる機会。
今回は、”平面”的なもので、各種展開いたします。
*
環境に寄りかかるところがある、自身のモノの性質を、
”もっと、そのものが自立する様に見せられないか”
という投げかけを頂き、臨む今回の機会。
いつものかたちが展開していくのとは異なる、
”平面的”なものに絞って、の展示となります。
どういうことが起こるのか、まずは”やってみましょう”と、いうところです。
いちど、かたちを制限した中で試みたとき、
奔放なかたちに因らないところで探ってみたとき、
どういう集約になるのか、、、
私にとっては新たな指標をさがす制作になります。
もともと、
立体物のかたちが展開することが魅力で、
こういうモノづくりに進んで行ったところが大きいので、
手を動かす動機に至るまで、ぼんやりと想っていたのでした。
”にんげんが、素材でものづくりをしていた風景”
を妄想して、
繋がる気分で今までこうしてやってきたのを
平面を見つめたときも同じような感覚にもって行けないか・・・。
つくっていったとき、はじめに出来上がってきたものは、
地面を切り取ってきたような雰囲気のものになりました。
もちろん素材が土で、”やきもの”なので、そういうテクスチャーに自然と寄るのですが、
ただの”風合い”を見せたいこととも異なるので、
ここを土台にして、そこから、になります。
ふと、耳にする機会となったことばで、
地球上を覆う、私たちが日常的に呼吸している”大気”こそが
古来からの化石のひとつでもある、
という趣旨のこと、、、。
理化学的なことに長けてないので、
正確にはどうか、計り知れないのですが、
(諸説あるらしいです。。)
その感覚に想い馳せることは、大きな気づきになりました。
今回、展示を 「 場 」 と言おうと思います。
今自分がいる地面は、
昔からある、同じ「場」であり、
そこにいた人やモノやことがら、、、
いろんなものを含んで、平面に繋がれば、、、
と思える気がしています。
私がつくるじかんを過ごすときは、
その妄想の”場”の中にいるように。
「 場 」 の意味は、
やはり、その字の由来は、
神事の場、のようなところからできているようで、(白川静氏・常用字解 参照)
- 人の精気を盛んにし、豊かにするところ -
はたけ、とりいれば、あきち、ばしょ、 など。
他を見てもおもしろかったのは、
理化学的なところだと、
物理量を持つものの存在が、
別の場所にある他のものに影響を与えること。
あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。
今、自分が日常的に過ごす日々も、
人との繋がり、関わり合いは、
ありがたくもこんな感覚に覆われて、居るかのようです。